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2009-07-06

■都内河川に生息する魚の臭い談義 <加筆あり>

先日、酒席上で都内河川(この談義における河川は隅田川上流)に
生息している魚臭について談義をした。

私にとってこの話しは非常にショックでもあり既に過去のものとして
そっと心の引き出しの中に仕舞い込んでいた話しであった。

と、いうのも幼い頃から隅田川、荒川に接し、また、周りの大人達からは
以前のこの河川の歴史話しを聞かされて育ち、薄々、何が起こってどんな
状況なのかは知っていた「つもり」であった。
然し、認めたくない、フタを空けてはいけないと一方で思いつつも、
現在の釣り仲間の「前向きな」アドバイスも手伝って、そして、大のうなぎ
好きも相まって、とうとう釣れたうなぎを口にしてみれば、今まで食べてきた
うなぎには無かった臭いにショックを抱いた。
そして、そこで釣れるスズキ、マハゼ、手長エビに関しても同じ事が言えた。

その臭いがゲオスミンが元なのかは定かではないが、カビ臭、オイル臭。
今も尚、これら河川においてこれらの魚達が釣れる事、食べれば臭うという事
は地元人の間ではほぼ、周知。
そして、食べるという行為にも、ほぼ、同じく至っていないという事実。

釣れてくる魚達を見れば見る程、「認めたくない」感情にもなり
随分と自分なりに工夫をしてみたものの、やはり、地域の人達のおっしゃる
通り、「食べる物じゃあ、無いよ」と認めざるを得なかった・・・。

釣友の様に「臭いの解らない味音痴」とまでは言わないが、事実、
自分としても近頃は、「非常食としての魚」という認識も私的、薄れてきて
いる。

と、いつも以上に長い前置きになってしまったのは今更諦めていただく事と
して、さて、酒席においての臭い談義。

私的主観は以上に述べたとおりとして、最近は、あえてこの話しをするのも
されるのも正直、苦を伴なうのが正直なのであるがやはり、地元界隈の出先で
川釣りの話しになれば「ソース焼きそばに紅生姜」の如く、この話題に
なってしまう。

私的、今更この手の話題を更に拍車を掛けるつもりもなく、適当に、

「昔から、うなぎには山椒が付き物!という事で宜しいのでは?」

と、ムリヤリ会話に終止符を打ってみたところ、流石は代々この地域、下町に
住む方々。
こんなまとめ方では納得もせず、負けん気強く、喧嘩太郎、

「昔の綺麗な川のうなぎに山椒が付き物ならば、昨今の川に住むうなぎには
はて、山椒ではなく何が有効なのか云々」

と、切り替えされてしまった。
正に、その通りだと思った。

いつも、都内河川の環境問題に触れる度に思い出される事象がある。
それは、昨今の「ゲリラ豪雨」により度々、隅田川も護岸を雄に湿らす
程の増水を起こす。
その増水が去った後、コンクリート護岸に残る「まっ黒い粘着質粘土状の物体」。
これは何なのかと、私の年齢程この川を見続けている大先輩に尋ねてみれば、

「更に上流から流れてくる牛や豚の糞」

であると言う。

もしそれが事実ならば、それは「怪しからん行為」なのではあるが、
成分を確かめてみない限り、それが糞なのかは定かではない。
然し、私にはそれが「動物の糞」に、どうしても思えないのである。
では何かと言われれば解らないのだが、イメージと臭いから察するに、
まっ黒くしてベト付き感、水を弾き、洗っても容易に落ちなく、
まるで「アスファルト」の成分が近い様に思えた。

「今の河川における魚を食すには山椒じゃ、もう利かないレベル。」

確かにそうかも知れない。

昔と昨今における河川の汚染度合いは質も量もまるで違うのは確かだ。
それは、人間の生活環境の変化に伴ない経済発展を優先してきた人間達の、
経済発展に反比例して他に多大な犠牲を強いてきた故の事実である。

そんな、ごく人間が手を加えていない、加える事の出来ない自然環境さえも
便利を追求し犠牲にし、そして、必然としての因果応報。

はて、人はそんなに人が考えている程に優秀なのだろうか?

何よりも、自分達の存在ですら自然の一部である事を忘れてはいやしない
だろうか?

随分と横柄で豪いものだなと、つくづく帰結に至る話題なのも今更なので
ある。

<加筆>

因みに、「臭い話し」ばかりを気にして最近、私がここら都内河川の魚を口に
していない訳ではありません。
隅田川上流で言えば、もう少し上流に遡れば荒川に辿り着き、板橋区に
辿り着くが、その辺りはたった数十年前の高度経済成長期、多くの零細企業
が集まり、多大な工場排泄物を荒川に流されていました。
勿論、それらは板橋区のみに限らず「特に河川沿い」に集まった企業の数、
工場廃水の垂れ流し行為は相当のもの。

他地方からの都内居住の誘致も重なり、下水道の整備もままならず、
生活廃水の垂れ流しにも拍車が掛かったのは昭和30年以降。

それらの地層の如く蓄積されてきた汚染物質、化学物質は自然力によって
浄化は出来る物でもなく、また、自然の逞しさとも言うべき自然環境こそが、
それらに適応してしまったのが事実である。

ここら一体も河川近くの住宅街において土中から大量のダイオキシンが
湧き出してきて、近隣の住民に今も尚、被害をもたらしてきているのも事実。

河川の浚渫工事などさえ行わなければそれらが大量に、佃島を経てお台場に
ぶつかり、海へと流れていく事は無いとは考えられますが、湧き出さない手段
は別として、これらを完全に除去する事はもはや、不可能であろう。

都内水路においてダイオキシンレベルが高い事も、水流が関係している
ものだと判明している。
よって、時に水量を増やし流してしまえば薄まりはするがじわじわと土中から
染み出し続いている事には変わりは無い。

はて、これら複数の化学物質が人体にどの様な影響を及ぼすのか、はたまた、
ヘドロの上縁が除去されれば次はどんな成分が表に現れるのかは解らない。

然しながら昨今は、何もこれら汚染物質の垂れ流しのみが河川を汚染している
のでは無く、車両の吐き出す排気ガス、磨耗されるタイヤの成分も大量に河川
に振り撒かれて、また、高速道路等から川へ直接排水されているのも確か。
これら粉塵が気管支へ影響を、アレルギー性疾患として人体に影響を及ぼしているという説もある。

ここら河川で捕れる魚達を数十年間食べ続けている大先輩の存在も
ある訳であるが、私が察する、それらが影響なのかと思わせる症状は、

「皆、ほぼ一様に大酒飲みなのである」

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